『ティーンルック』記事掲載について

岸部一徳さんのザ・タイガース時代が
知ることのできる雑誌『ティーンルック』。
管理人の手元にも何冊かありますが、
その中に弟・岸部四郎さんとの記事が掲載された号もありました。
下記の2件です。
『ティーンルック』1969年2月4日号
「弟四郎よ 荒野を目指せ!」
『ティーンルック』1969年2月11日号
「世界の歌を僕たちの手で!」

是非こちらで内容を紹介したいと思い、
主婦と生活社さまに二次使用の許諾を頂けるかお問い合わせしました。
結論として、許諾はおりませんでした。
以下頂いたメールの一部です。
「弊社雑誌『ティーンルック』使用の件ですが、結論から申し上げますと二次使用の許諾はできません。
古い雑誌でもあり、写真の著作権等誰が権利を持っているか不明な点が多いためです。」
権利者が不明確であるのが理由ということでした。
非常に残念です。
グループサウンズ関連の記事はこのままでは
より権利関係がわからなくなっていき、
二次使用が難しくなる一方かと暗くなってしまいます。

写真掲載や引用はできないので、
どのような記事であったのかを簡単に。

1968年12月5日にロサンゼルスを訪れたタイガースは渡辺プロの音楽特派員として渡米していた四郎さんと出会うのですが、四郎さんがアメリカ行きを告げた時のことを回想するサリーさんという構図になっています。
四郎さんを含めたタイガース6人が写る写真も掲載されていました。
四郎さんについては末っ子で甘やかされ、無口で口下手で気の弱い内向的な性格と書かれており、タイガース加入後のMCを担当していた時の飄々としていて要領の良さそうなキャラクターとは違った描かれ方がされています。こちらが“素”の四郎さんなのでしょうか。レコード好きでピーさん(瞳みのるさん)と仲が良かったとあります。身長の一番低い最年長と身長の一番高い最年少のコンビとは微笑ましいですね。
そんな四郎さんを子どもの頃から守ってきた兄のサリーさんが、単身渡米するまで成長した弟に感動する美談ですね。
幼少期、お年玉を猫の貯金箱に入れて堅実に使っていた反面、友達に電車賃が無いと言われれば立て替えたというサリーさん。北野中学時代に水泳部だったことや牛乳配達のアルバイトをやっていたこと、布団を質入れした経験があることなども紹介されていますから、この話にも信憑性がありますね。

このような内容でした。
雰囲気だけでも伝わると良いのですが。
今後も過去の記事を探してみたいと思います。

SALLY MY LOVE

岸部一徳さん(サリー)の非公式ファンサイト